Sunday, October 22, 2017
chat
今日は台風のため、午前中の授業はcancelされたので、ようやくゆっくりできます。
昨日は母親の話を人生で初めて聴こうとして、サンマルクカフェで2時間ほどいました。
自分を嫌うなの著者に講演会でサイン本を持って帰って来たので、どんな話を聞いて何を感じたのか興味を持ちました。
人の悩みの99%は人との関わりがあるために生じるそうです。
僕は他人と関わることを避けて生きてきたので、あんまりピンと来ませんが、中学の音楽の先生で既に亡くなった人も同じことを言ってました。
僕がコンタクトに命を注ぎ込む理由は、人と関わりたいけど、関わり方がわからない。
非言語でいいなら、なんとか関わることができる方法を見つけたから、だと思います。
チコさんは、世界の人がみんなやったら平和になるって言いますが、僕はそもそも世界中の人がやるような普遍性、汎用性の高いactivityでは決してないことを了解しています。
言葉を刃物を持つように換えるのであれば、普段の生活に足りない感覚が埋められてないから来るのだと考えます。
彼氏、彼女、旦那、妻、と常にイチャイチャしてたら、そもそも他人と踊る必要性がないのだと仮定します。
僕は特定の誰かと居たいという気持ちは薄いので、そうした関係性が持てる人を尊敬すると同時に、遠巻きに眺めています。
そもそも、自分のことで精一杯なのに、なぜ人々は他人に気を遣えるのか、僕には全く理解が出来ません。
祖父には、
「早く結婚するのは良いことだ」
と云われたので、
「死んでも結婚なんてしない」
って言い返しました。
なので、せいぜい男の子を連れていって、
「彼と結婚する」
ということが、せめてもの意思表示になります。
先日、ミーティングをやるといって時間を決めたのに、結局、その時間通りには始まりません。
他人と関わると他人の都合に振り回されます。
他人と関わりたいけれども、他人と関わるのは非常に面倒くさいことでもあります。
自分が人見知りであると告白してくれた参加者がいました。
僕には意味がわからなかったです。なので、人見知りとは何かを質問しました。
初めての人といて、素の自分でいられたら、どうやら人見知りではないらしいです。
僕は初めからネイルも顔のペイントもしていましたが、人見知りをする人間であったとしたら、きっとそうしたことはできないのだろうなと思います。
自分を表現することを相手によって変えているのが、人見知りの本質ではないかと思ったのです。
その根底にある概念は、やはり他人に嫌われたくない、良く思われたい、という魂胆があります。
僕は、他人に何を思われようが知りません。
現実、他人が何かを僕に伝えるまで僕は認知しません。
他人が何を思うかを考える能力に欠けているといえば、それまでです。ですが、意識的にそうすることにしました。
つらつらと長く書いてシェアするなら、blogに書いてリンクを貼るのでもいいのですが、このまま続けます。
伝えたい相手は、一緒に活動しようと誘って下さった貴重な仲間なので。
相手によって自分を変化させるのは、カメレオンです。
僕には色を変える力がないです。
僕は紫です。
カメレオンを尊敬すると同時に、不思議に思います。
果たして、カメレオンは何色なのだろうか、と。
緑、、、!?か、、、?
黄緑に、いくつかの色
人見知りだと告白してくれた人は、人見知りには僕の目には映らなかったので、疑問に思ったのです。
彼女が何色なのか、僕は知りたいです。
僕にはまだ彼女の色はわかりませんが、彼女は少なくとも自分の好きなことを突き詰める強さを持っています。
彼女はカメラを構えて歩いていて、カメラを構えた彼女の姿は美しかったので、思わずカメラを構えている彼女にカメラを向けてしまったほどです。
僕は彼女に見えている世界が気になりました。
彼女は撮った一枚の写真をみせてくれました。
光が、現実とは違って緑に輝いていて美しかったです。
僕は光を撮るために踊った経験があります。
これが、その踊りの中で自分が面白いと思えた写真です。
自分が踊っていて、カメラを持ってシャッターを押しながら踊ると光も直線のはずの光も、踊ることを再発見したのです。
こうした写真は高校生の時にも撮った覚えがあります。、
写真はその人の人生を写します。
その人が見てる世界、対象は勿論のこと、その人と世界との距離も明らかにしてしまうものです。
だから、写真を他人に見せることは僕にとっては恥ずかしいことです。
その、僕にとっては恥ずかしいことを、カメラを構えた美しい女性はいとも簡単にやってのけたのです。
その美しい女性に僕の心は奪われたのです。
だれかにその心奪われたことを伝えたときに、誰かは言いました。
「彼女は子供がいるよ」と。
僕には理解ができませんでした。
僕の心が彼女の美しさに惹かれたことと、彼女に子供がいることに何の相関があるのでしょう。
子供のいる人を、好きになってはダメなのよ、ってその誰かは伝えたかったのかも知れません。
僕には、意味がわからなかった。
僕は基本的に人間は嫌いだし、オトコはもっと嫌いだ。
だから、人を好きになること、人に惹かれることなど、基本的にない。
その誰かは、僕の気持ちの芽を、きっとその人の倫理観に基づいて、摘もうとしたんだ。
だけど、生憎、僕の気持ちは僕だけが管理できる僕の宝物。
誰も触れないし、誰もその芽は摘むことはできない。
だから、芽が出たら、太陽に当てて、毎朝水をあげるんだ。
太陽に当たる場所にいなくて、日当たりが悪かったら移すんだ。日当たりの良い場所に
どんな花が咲くのか、そもそも花が咲く植物なのか、それは知らない。
だけど、新芽🌱は命を輝かしたいと芽を出したんだ。
枯れてしまうかもしれない。寒さに耐えられないかもしれない。
だけど、だから、大事にするんだ。
その発言をした、誰かに伝えたい。
僕だって、
「結婚しないって決まってるし、あと13年で死ぬんだよ」って。
だから、僕は子供が生まれたって、二十歳まで見守れない。
だから、決して子供が欲しいとは願ってはいけないのだ。
子供が苦しむのであれば、悲しい想いをさせることが決まっているのであれば、sexなんてしてはいけないのだ。
僕はidがない。
pleasure systemが構築できてない。
何を快と感じるのかを、感じ取る能力が発達段階でまだ完全体にdevelopしてない。
egoとsuperegoが強過ぎて、強過ぎて、強過ぎて
だから、昨日も踊りに行きたくても、認知症の祖母と過ごすことが優先される。
なぜなら、彼女がいなければ、僕はここには存在しないのだから。
話を戻そう。
僕は、カメラを構えた美しい女性に聞いたんだ。
「一緒にカメラを持っていつか撮りに行こう」って。
彼女は微笑んで、首を縦に振った。
僕の心は弾んだ。
次、会えるのが、1年後か5年後か、10年後か、そんなことはわからない。
わからないから愉しみが未来にとっておける。
死ぬまで、したいことがひとつできた。
僕は彼女と逢える日を待ち侘びる。
待ち侘びている時間をもどかしく思う。
と同時に愛おしく思う。
そして、決して2度と逢えないのかも知れない、と思う。
そして、それなら、のれが、きっと、いいのかもしれない、なんておもう。おもいたくないけど、おもう。そう、おもってることに、する。けれど、やっぱり、なっとくがいかない。
逢えないままなら、約束は生き続ける。
下手に会ってしまったら、もう二度と逢えなくなってしまうのだ。
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
No comments:
Post a Comment